←あえて

z0mb2003-07-26

theraliteの1999年モノがなかなか終わらないので”なっちゃんが七月八日に語ったことについて、どれほどの人に動物解放の意識を植え付けたか”について調べてみることに。こーゆー立場の人があーゆーことを発言することは、とても意味があることだと僕はすんごく思う。ほんとのこと言うと、なんか、くやしいけど僕に無し得ないことを彼女は出来る立場にいるのだ。ここから、ちっとばかしまじめに書くぞ。ほんとうに、ほんとうに、そういうキモチがあるならば、そこにいる動物たちが、いともたやすく殺されていること、殺処分されることを知って欲しい。動物たちへの差別については人間の食生活にもかかわってくることだけども、生命に値札をつけて売買されることに疑問をもったなら、君のその疑問が世の中に広がっていくことを想像してほしい。僕は日常生活がそんな動物たちの犠牲の上に立ってることを知っている。だけど、それでも生きている。なぜか?それは人間と動物とが重なり合う未来を実現する為には一番大切なことはその結果たる未来ではなく現在存在しつつける自分に繋がるその道にある、と考えるようになったからだ。ちょっと前までは自分のいまの存在意義と人間の原罪論などを重ね合わせて、認められない自分の存在に悩みまくったものであるが、今はそういう考えを経て日常生活にこそその変革の糸口があると考えている。だから、君のように日常的な発言がとても影響力をもつ人物がそーゆー考えをもったことが、すんごくうれしいし応援したい。というキモチでいっぱいなんです。カワイイし。なんかこんなことはここにかこうなんて思わなかったけど、すごく貴重なものを見つけたような気がして書いちまった。ていうか、最初の書き出しとぜんぜん違うじゃねーか、バカか、オレは。と思ったが、けっこう、いっつもこんなカンジだな…っと思い、まぁ、イイか、と。